武夷茶に関する最古の文献記録は唐代に遡りますが、研究者の考察によれば、その起源は南北朝時代にまで及ぶ可能性があります。


唐代の詩文に残る最古の記録

現存する文献のなかで武夷茶に最初に言及したのは、唐代の詩人・徐夤による詩です。武夷の春茶を摘み、製茶し、贈り物として差し出す様子が詠まれており、9世紀の時点ですでに武夷茶が贈答品として珍重されていたことがわかります。同時期、孫樵は『送茶与焦刑部書』のなかで武夷茶を「晚甘侯」と呼び、「建陽の丹山碧水の里」に産すると記しました。その筆致の重厚さから、当時すでに高い評価を受けていたことが伝わります。

起源はさらに古い可能性も

茶史研究者の陳椽教授は「晚甘侯」という名称をもとに、武夷茶は南北朝の斉の時代(479〜501年)にはすでにこの名で知られていたと推論しており、実際の起源はそれ以前に遡るはずだと述べています。一方、林馥泉は武夷茶が確かに武夷山に由来することを認めつつも、唐代以前の製法や伝播の詳細は現存資料からは十分に辿れないとしています。

「武夷」という名の確立

注目すべき点として、唐代には崇安県がまだ設置されておらず、武夷山は建陽に属していたため、この地のお茶は「建安茶」の名で呼ばれることが多くありました。北宋の淳化五年(994年)に崇安県が正式に設置されて初めて、「武夷茶」という名が建安茶の陰から独立し、独自の地位を確立していきました。


武夷茶の来歴をたどると、建安茶の盛衰や宋代の貢茶制度と深く絡み合っています。「武夷茶と建安茶の関係」にご興味があれば、その歴史もぜひ読み進めてみてください。

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