「晚甘侯」は武夷茶の雅称で、唐代の文人・孫樵の書簡に由来します。武夷茶を擬人化して呼んだ、現存する最古の文献記録として知られています。


書簡に登場した「お茶の侯爵」

孫樵は『送茶与焦刑部書』のなかで、「晚甘侯十五人」を斎閣にお仕えさせると記し、「粗末に扱わぬよう」と念押ししています。茶に「侯」という爵位を与えるという表現は、武夷茶の格の高さを示すとともに、当時の文人たちがこのお茶をいかに大切にしていたかを物語っています。「晚甘」という言葉には、口に含んだあとでじわりと広がる甘みという、品飲の感覚が込められています。

雅称から「伝記」へ

この名は後世にも受け継がれ、清代の蔣蘅は『雲寥山人文集』のなかで「晚甘侯」のために専用の伝記を書き、姓名や出身地まで設定しました。「甘氏、字は森伯、閩の建溪の人なり、世々武夷丹山碧水の郷、月澗雲龕の奥に居す」と記されており、一杯のお茶を個性と来歴を持つ人物として描くという試みは、茶文化の歴史においても非常に珍しいものです。

産地は名称のなかに

孫樵が記した「建陽の丹山碧水の里」も、蔣蘅の伝記にある「閩の建溪の人」も、いずれも同じ土地——武夷山を指しています。「月澗雲龕」は霧に包まれた山の岩窟でお茶が育つ様子を表し、「碧水丹山」は今日まで使われる武夷山の地理的なイメージです。産地の情報が、雅称のなかにさりげなく織り込まれているのです。


「晚甘侯」に見られる擬人化の伝統は、のちに蘇軾が『葉嘉伝』で武夷茶を称えた手法にも受け継がれています。宋代の文人たちが武夷茶をどのように詠んだか、興味があればそちらもぜひ読み進めてみてください。

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