闘茶は宋代に盛んに行われたお茶の品評競技で、茶湯の色と水跡の現れ方で勝敗を決めました。武夷岩茶が貢茶に選ばれるための重要な関門でもありました。
何を競うのか
闘茶には二つの審査基準があります。一つは茶湯の色、もう一つは水跡です。銀のさじで一定量の茶末を茶碗に取り、沸騰したお湯を注いでペースト状に調えたあと、茶湯の色が純粋で鮮やかな白であるかを確認します。そして茶湯が引いていくにつれて茶碗の内壁に水跡が現れ、先に水跡が出た方が負けとなります。一見シンプルなルールですが、その背景には摘み取りの時期、製茶の工程、点茶の技術すべてが問われています。
専用の茶碗に隠された工夫
宋代の皇室は、闘茶のために専用の茶碗「建盞」を特別に制作しました。この茶碗には、口縁から一・五から二センチほど下に「注湯線」と呼ばれる折れ目がはっきりと刻まれており、水跡の位置を見極めるための基準として使われました。茶碗そのものがルールの一部として機能していたことからも、宋代の人々が闘茶にどれほどの精巧さを求めていたかが伝わります。
品評から宮廷の遊びへ
闘茶のほかに、宋代の宮廷では「分茶」も流行していました。「茶百戯」とも呼ばれるこの遊びは、沸騰したお湯で茶末を点てることで、茶乳を茶碗のなかで鳥獣・虫魚・草花などの模様に変化させるもので、その精巧さは絵のようだったと伝えられています。宋代においてお茶を飲むことは、単なる喉の渇きを癒すためではなく、高い技術を要する視覚芸術でもありました。宋の徽宗は『大観茶論』のなかで、武夷などの茶について、摘み取り・製造・品評・点茶のいずれも極めて高い水準にあると称えています。
闘茶の審査眼が、武夷茶を貢茶の列に加えるかどうかを左右しました。宋代の文人たちが詩文で武夷茶の名声をどのように広めていったか、興味があればそちらの話もぜひ読み進めてみてください。
