安渓茶区には、製茶人が代々伝えてきた口訣がある。「雨後の二日目の晴天、午前十時から午後四時まで」これは迷信ではなく、数百年の経験が蓄積した知恵である。鉄観音の摘採時機は、驚くほど精確だ——雨後の初日でもなく、三日目でもなく、必ず二日目。早朝でもなく、夕方でもなく、必ず午前十時から午後四時まで。荘任は明確に指摘する。「採摘『鉄観音』最佳時刻是雨後第二個晴天,早上十点到下午四点採下鮮葉,両葉一芽為上乗」この黄金時刻を逃せば、たとえ茶樹が良く、師匠が優れていても、最上級の茶を作ることは難しい。これは大自然が製茶人に課した時間の暗号なのだ。
なぜ雨後の二日目の晴天なのか?
「雨後の二日目の晴天」という七文字には、天候、水分、日光への精密な計算が含まれている。
雨後の初日ではだめか? だめである。雨後の初日は、天気が晴れても空気の湿度はまだ高い。茶樹の葉は雨水で潤ったばかりで、含水量が高く、葉の表面にはまだ水滴が残っているかもしれない。この状態で摘採した茶青は、水分が多すぎて、後続の做青時に蒸れやすく、発酵程度の掌握が難しい。さらに重要なのは、高湿度環境が茶葉内含物質の転化に不利で、作った茶は香気が立たず、韻味が不足することだ。
雨後の三日目ではだめか? これもだめである。三日目になると、湿度はすでに下がっているが、茶葉は水不足で最良の状態を失い始めるかもしれない。葉は次第に老化し、繊維化し、柔軟性が低下し、後続の揺青と包揉に不利である。しかも、三日目に強い日差しに遭遇すると、茶樹は水分散失が速すぎて「緊張状態」に入り、茶葉品質に影響する可能性がある。
二日目のみが、ちょうど良い。 雨水がすでに茶樹に十分な水分を補給し、茶葉は飽満で柔嫩だが、葉表面の水分はすでに蒸発し、含水量は適度である。空気の湿度は下がったが、まだ完全に乾燥しておらず、日光は十分だが烈しくない。この状態の茶青は、做青の理想的な原料——湿りすぎて蒸れることもなく、乾きすぎて活性を失うこともない。
この「二日目」への固執は、安渓茶農家の天候変化への精確な掌握を示している。彼らは湿度計も気象予報もなく、経験だけで最良の摘採時機を判断できる。この功夫は、何世代もの人々が失敗と成功の中で積み重ねたものだ。
なぜ午前十時から午後四時までなのか?
摘採時間の精確度は、さらに驚嘆すべきものだ。日の出後すぐに始めるのでもなく、日没前に終えるのでもなく、午前十時から午後四時までのこの六時間である。
なぜもっと早くできないのか? 早朝の茶園では、葉にまだ露が掛かっている。晴天であっても、露は午前九時あるいは十時にならないと完全に蒸発しない。露をつけたまま摘採した茶青は、水分過多で、雨後初日と同じ問題を抱える——蒸れやすく、発酵制御が難しい。
より深い理由は温度である。早朝は気温が低く、茶葉の代謝活動はまだ完全に始動しておらず、内含物質は相対的に静止状態にある。この状態で摘採した茶青は「活性」に欠け、後続の做青時に香気が引き出しにくい。
なぜもっと遅くできないのか? 午後四時以降、日光は弱まり始め、気温が下がる。さらに重要なのは、摘採後の茶青は直ちに製茶工程に入る必要があること——夕方の晒青、夜の揺青。もし摘採が遅すぎると、晒青の時間が圧縮され、さらには十分な「軟日」(柔らかい日光)で日光に当てることができなくなる。
しかも、午後四時以降の摘採は、茶農家が深夜あるいは明け方まで働かなければ初製を完成できないことを意味する。製茶はもともと昼夜を問わぬ作業だが、摘茶の開始時間まで遅れると、製茶全体のリズムが乱れ、師匠の体力と精神もさらに逼迫する。
午前十時から午後四時は、最も理想的な窓口である。 この時間帯は、露がすでに乾き、日光は十分だが酷烈でなく、温度は適度で、茶葉の代謝が活発である。摘み取った茶青は、葉が飽満で弾力に富み、内含物質が豊富で、まさに做青の最良の状態だ。しかも摘採完了後、時間的にも夕方の晒青工程と完璧に接続できる。
両葉一芽が上乗
荘任は時間だけでなく、基準も強調する。「両葉一芽為上乗」これが鉄観音摘採の黄金基準である。
「両葉一芽」とは何か? 一つの嫩芽と下方の最も嫩い二枚の葉である。この部位の茶葉は、葉の成熟度が適度——嫩すぎて内含物質に欠けることもなく、老すぎて繊維化することもない。嫩芽は鮮爽度を提供し、二枚の葉は韻味と厚みを提供する。三者が結合してこそ、香気と韻味を兼ね備えた最上級鉄観音を作れる。
林文治も述べている。「上等品種採摘時要一芽両葉,較次者採一芽三、四葉」この対比は、摘採基準が茶葉等級に決定的な影響を与えることを説明している。
一芽三、四葉はなぜ「較次」なのか? なぜなら芽が第三、四枚の葉まで成長すると、最上方の嫩芽はもはやそれほど嫩くなく、下方の葉も次第に老化しているからだ。この茶青でも製茶はできるが、作った茶は香気が弱く、韻味が不足し、中低級製品にしかならない。
嫩芽のみを摘採できるか? 理論上は可能だが、割に合わない。純芽茶は鮮爽だが、韻味と厚みに欠け、しかも生産量が極めて少なく、コストが極めて高い。鉄観音の特色は「観韻」にある——口に含むとやや苦渋、飲み込んだ後に甘みが生じ、余韻が長く続く滋味。これには一定の成熟度の葉が必要で、純芽茶ではこの韻味を出せない。
「両葉一芽」は最良のバランス点——嫩度と鮮爽を保ちながら、韻味を支える十分な内含物質も持つ。これが最上級鉄観音がこの基準に固執する理由である。
黄金時刻の挑戦
理想は美しいが、現実は残酷だ。この「黄金時刻」を捉えるために、茶農家は巨大な挑戦に直面する。
まず天気の不可制御性である。もし雨が続き、晴天を待てなかったら?もし雨後の二日目にまた雨が降ったら?もし二日目が晴天ではなく曇天だったら?これらの変数を茶農家は制御できず、ただ待つしかない、賭けるしかない。この機会を逃せば、次の雨後晴天を待つしかないが、茶葉は人を待たない——毎日成長し、老化する。
次に人手の逼迫である。午前十時から午後四時まで、わずか六時間しかない。一つの茶園の茶青は、おそらく十数人あるいは数十人の摘茶工が六時間内に摘み終えなければならない。摘茶工はどこから来るのか?どう組織するのか?どう彼らに「両葉一芽」の基準で摘採させるのか?これらはすべて茶農家の課題である。
第三に他工程との接続である。鉄観音は「満春時節」になってようやく摘採に適するが、この時茶農家はすでに早種茶、青心烏龍茶の製造から、約一ヶ月の昼夜を問わぬ作業を経ている。体力と睡眠が限界に近づいているが、それでもこの黄金時刻を捉え続けなければならない。これは確かに大きな挑戦だ。
天の時は違えられない
荘任はさらに厳しい現実にも触れている。「『鉄観音』最喜歓晴天北風吹,如是南風雨天,技術再高,土地再好,要做特級茶是難上加難的」
たとえあなたが「雨後の二日目の晴天」を捉え、「午前十時から午後四時」に「両葉一芽」を摘採しても、その後数日間南風雨天に遭遇し、做青段階が順調に進まなければ、このバッチの茶青はやはり特級品質を作れない。
これが「天候次第」の残酷さ——茶農家は摘採時機を制御でき、製茶技術を掌握できるが、天気は制御できない。天の時は違えられない、これが大自然が製茶人に課す最大の試練である。
黄金時刻の啓示
「雨後の二日目の晴天、午前十時から午後四時まで」、これは単なる摘茶時間ではなく、自然への畏敬、品質への執着である。
安渓茶農家は深く知っている。良い茶は「作る」ものではなく、「待つ」ものだと。天気を待ち、時機を待ち、あのちょうど良い瞬間を待つ。彼らは急いで茶を摘むために露が乾く前に作業を始めることもせず、生産量を貪って一芽三、四葉を摘むこともせず、便利さのために初日や三日目に摘採することもしない。
彼らは待つことを厭わない。なぜなら知っているからだ。黄金時刻を逃せば、どれほど優れた技術でも原料の不足を補えないことを。黄金時刻を捉えてこそ、最上級の茶を作る可能性があることを。
次に最上級鉄観音を一杯味わうとき、考えてみてはどうだろう。この茶の起点は、時間単位で精確な黄金時刻であり、茶農家が雨後二日目の晴れた午前、太陽の下、茶園で腰を曲げ、一芽一芽、両葉両葉、丹精込めて摘採した成果なのだと。
この時機への固執、基準への執着は、最終的にすべてこの一杯の茶に凝縮される。これが鉄観音の黄金時刻なのである。
