想像してみてほしい。台中県和平郷、標高1350メートルの八仙山。茶の収穫期になると、茶客たちが現金を手に茶園に並び、まるで限定スニーカーを争うかのように茶葉を奪い合う——。これは誇張ではなく、実際に八仙山茶区で起きている「現金搶茶大作戦」の光景である。

ここでは茶葉が毎年収穫期に予約完売し、さらには「現金を持参しなければ買えない」ほどの人気を誇る。では、なぜ八仙山の茶はそこまで珍重されるのか。その背後にはどんな商業論理や人間模様が隠されているのか。


退輔会農場の転身:果樹から茶への運命転換

八仙山の物語は、その特殊な出自に始まる。もともとは「行政院国軍退除役官兵輔導委員会(退輔会)」が管轄する農場で、構成員は退役軍人たち。最初に栽培していたのは高山の果物で、烏龍茶ではなかった。

彼らは戦場を退き、この山地でリンゴや梨、桃を育て、自給自足の生活を送っていた。しかし1990年代、WTOによる市場開放で輸入果物が急増。台湾の果樹産業は打撃を受け、生き残りのために新たな作物を模索せざるを得なくなった。

そのとき急成長していたのが高山烏龍茶である。高収益性に惹かれ、農場は茶への転作を決断。これが八仙山茶の伝説の始まりだった。


小規模試験栽培の知恵:リスクを抑える軍人気質

転作にあたって退役軍人たちは、軍人らしい慎重さを示した。果樹をすぐに全面廃止せず、小規模な試験栽培から茶に挑戦したのだ。

もし茶作りが失敗しても果物で収入を確保できるという「二重保険」があった。結果として、八仙山は「量が少なく質が高い」特性を持つようになった。茶園面積が限られていたため、大量生産はできなかったが、その分、精耕細作で品質を徹底的に高めることができた。


「五水」「六水」の奇跡:高山茶区の収穫上限を突破

八仙山の驚異はその収穫頻度にある。一般的な高山茶区は年に3〜4回しか摘めないが、ここでは平均「五水」(年5回)、条件が良ければ「六水」(年6回)の収穫が可能だ。

「五水」とは春・夏(2回)・秋・冬の5回、「六水」とは夏と冬にさらに1回ずつ加わる収穫サイクルを指す。これにより茶農は収入を増やし、市場の旺盛な需要に応えることができる。

これは標高1350メートルという絶妙な環境がもたらす恩恵である。高山茶の品質を確保しつつ、過酷すぎない気候が茶樹の生命力を保ち、複数回の発芽・収穫を可能にしている。


現金経済の理由:熟客制度と信頼の商業モデル

最も注目されるのは「なぜ現金決済なのか」という点だ。その答えは茶園主・王茂雄の言葉にある。
「すべて常連客で、需要が供給を超えているから、価格も安定している。心配はない。」

つまり、八仙山は「熟客経済(リピーター経済)」で成り立っている。茶農と茶客の間には強固な信頼関係が築かれており、客は品質や価格を疑わない。農家も販路や広告に悩む必要がなく、供給量以上の需要が保証されている。

現金取引は、その信頼の象徴でもある。客が現金を持参するのは、農家への信頼の証であり、農家がそれを受け入れるのも長年の顧客への誠意なのである。


品質保証の裏側:水源にこだわる職人精神

八仙山茶がこれほど評価される根底には品質への徹底したこだわりがある。特に「水」が重要視されている。茶農たちは茶園に最良の水を引くために巨額を投じ、水利工事を行った。

水質は茶の味に直結する。自然条件に頼るだけでなく、インフラに投資してまで環境を整える姿勢こそが「品質の基盤」であり、消費者に認められる理由である。


自産自消の完全モデル:100%直販の哲学

八仙山茶区は、収穫した茶を**すべて自産自消(自家生産・自家販売)**している。年間1万〜1万5千斤の茶葉がすべて直接顧客に渡り、中間業者は存在しない。

この方式により、茶農は品質を全工程で管理でき、利益率も高まる。さらに顧客と直接つながることで、リピーターを強固に確保することができた。

「国内需要だけで足りず、輸出の必要がない」と王茂雄が語るように、八仙山茶は国内市場だけで完全に消化されている。


八仙山の哲学:「今日食べる分も足りないのに、どうして明日に回せるか?」

この地の経営哲学を象徴する言葉がある。
「今日食べる分も足りないのに、どうして明日に回せるか?」

供給不足が常態であるため、茶農は販売戦略よりも品質向上に集中できる。大規模化や外販よりも「小さくても特別な存在」であることを選んだ八仙山の経営は、結果的に大成功を収めた。


結論:現金搶茶の裏にある農業転型の知恵

八仙山の現金搶茶は単なる商業現象ではなく、台湾農業転型の成功物語である。果樹から茶への転換、慎重な試験栽培、供不応求の状況を活かした熟客経済と直販モデル——。そのすべてが台湾農業の柔軟さと創造力を物語っている。

一杯の八仙山高山烏龍茶を味わうとき、そこには現金を握って山へ向かった茶客の姿、水源にこだわり抜いた農家の努力、そして果樹農場から茶園へと転身した伝説の物語が凝縮されているのだ。

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