「包種」という二文字を目にしたとき、多くの人はまず不思議に思う。茶とはあまり関係のなさそうなこの名前は、いったいどこから来たのだろうか。台湾の茶文化の中で長く語り継がれてきたこの問いの答えは、想像よりもずっと素朴で、それゆえに興味深い。
包種茶という名前は、故事に由来するわけでも、文人が付けた雅号でもない。ある具体的な包装方法から生まれた、ごく実用的な呼び名だ。清代、烏龍茶は台湾の主力輸出茶だったが、販売が思わしくない時期があった。そこで知恵を働かせた茶商たちは、烏龍茶に花を加え、二枚の紙で長方形に包み、茶荘の名前を印刷して市場に送り出した。この長方形の紙包みの茶が好評を博し、やがて「包種茶」という名前が自然と定着していった。
名前の由来はこれほどまでに率直だ。意図して設計されたブランド名ではなく、日々の商いの中で人々が口から口へと伝えてきた呼び名が、今日まで受け継がれてきたのだ。
しかし、その素朴な名前に、後の世の人々は別の意味を重ねた。「包種」を「包中(必ず合格する)」と読み替え、この茶を飲めば試験に必ず合格できるという言い伝えが生まれた。根拠はないが、名前に意味を見出したくなるほどの魅力が、この二文字にはあるのだろう。
産地は坪林だけではない
包種茶といえば坪林を思い浮かべる人が多いが、それはこの茶の歴史的な広がりをやや狭めた見方だ。文山包種茶の産地は、新店・坪林・石碇・深坑・汐止の五つの町にまたがっており、かつてはいずれも文山行政区に属し、日本統治時代には「文山堡」と呼ばれていた。この地域で生産される茶は「文山茶」と総称され、中でも包種茶がとりわけ名高かった。
主な茶樹品種は青心烏龍が多く、次いで青心大有や大葉烏龍が続く。茶農と茶商は高級茶の製造を目標とし、茶摘みはすべて手作業で行われた。坪林の人々は文山包種茶の特徴を五文字で表現する。「香・濃・醇・韻・美」と。
最初の姿は「花茶」だった
包種茶が市場に登場した当初、それは今日私たちが知る素茶の形ではなく、包種花茶として世に出た。花茶とは、茶葉に香花を薫らせて作るもので、その起源は中国福建省の福州にまでさかのぼる。
文献によれば、咸豊年間の初め、福州の商人が鼻煙の香りを高めようとジャスミンで薫製を試みたところ、その効果が際立っていた。茶商もこれを模倣し、ジャスミンで茶を薫じた花茶が誕生した。台湾の茶商は烏龍茶の輸出が振るわない時期に、この薫花の技法を取り入れようとしたが、当時台湾には薫花用の花材がなく、茶を福州へ送って加工し、加工後の茶を「花香茶」と呼んだ。この両岸を行き来した製茶の歴史が、包種花茶が台湾に根付く前の過渡期の姿だ。
ひとつの愛称が、輸出の時代を背負った
「包種茶」という呼び名は偶然のように生まれたが、実は市場の力が自然に生み出したものだ。花を加えた薫製から長方形の紙包みへ、福州から台湾へ、そして台湾から南洋へ——この名前は茶葉の流通とともに旅をし、台湾茶の輸出の盛衰とともに歩んできた。
今日、私たちが何気なく口にする「包種茶」という言葉の背後には、市場の狭間で活路を切り開こうとした茶商たちの知恵と努力の歴史が刻まれている。名前の出発点は二枚の包み紙。しかしその紙が運んだのは、ひとつの時代の茶の香りだった。
