東南アジアには福建出身の華僑が多く暮らしており、故郷の味であるお茶への愛着を持ち続けていました。台湾の包種花茶はその需要にぴたりと合い、さらに台湾の茶商たちが現地に積極的に拠点を設けたことで、東南アジア全域に広まっていきました。


華僑の故郷の味

19世紀末、東南アジアには福建から渡った華僑が多く暮らしていました。記録によれば、当時のジャワ島だけで約30万人の華僑がおり、その半数以上が福建出身でした。保守的な生活習慣を持つ彼らは、異国に渡っても故郷のお茶を飲み続けました。台湾の包種茶は福建に源流を持ちながら、品質は現地産を大きく上回り、自然と華僑たちに愛されるようになりました。人口の増加とともに需要も年々拡大していきました。

茶商たちの海外展開

台湾の茶商はこの市場に目をつけ、東南アジア各地に支店や代理店を設け、現地の市場動向を直接把握しながら販売を進めました。珍春号はジャワ島の井里汶・加蚋吧・泗里末に支店を構え、豊盛号や祥記号もベトナムやタイに広く拠点を持っていました。台湾の本店から海外の中継拠点へとつながるこの経営スタイルが、包種花茶の安定した供給を支えました。

輸出の黄金時代

数字を見れば、包種花茶の盛況ぶりは明らかです。1913年から1924年にかけて年間輸出量は200万キログラム以上、1925年から1930年にはさらに300万キログラム以上に達しました。1900年以降、オランダ領東インド諸島では台湾の包種花茶を飲む習慣が定着し、クチナシ・ジャスミン・秀英花の三種を薫製した「三色花茶」が最高級品として広く愛されました。

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