今日スーパーで手軽に買える紅茶も、300年前のヨーロッパでは、中国の武夷山から運ばれた一杯の紅茶は財力がなければ触れられない贅沢品でした。その時代、この茶のために戦争が起き、詩が書かれ、飲む場に居合わせた客が起立して敬意を示しました。誇張ではなく、文字に記された実際の光景です。


1664年、イギリス東インド会社が英国王に武夷紅茶2ポンドを献上しました。1ポンド当たりの価値は40シリングでした。現代の感覚ではピンとこないかもしれませんが、当時の物価水準に置くと、その稀少さが伝わってきます。1ポンド40シリングの茶は、日常の飲み物ではなく、東インド会社が英国王への贈り物として選んだ貴重な献上品でした。

この身価は、武夷紅茶がイギリス上層社会の注目をたちまち集めることになりました。イギリス人は「武夷茶の色はルビーのように紅く、その品質はセイロンやインドをはるかに凌ぐ。武夷茶で客をもてなされた者は必ず起立して敬意を示す」と語りました。この描写は、武夷紅茶のイギリス社会における位置づけを明確に示しています。単なる飲み物ではなく、身分の表現であり、もてなしの最高格式でした。武夷茶で客をもてなすと客が起立するという礼節は、当時の人々がこの茶をいかに評価していたかが、飲み物の範疇をはるかに超えていたことを示しています。

武夷紅茶の貴重さの一部は、高い輸送コストによるものです。武夷紅茶は輸送コストが高く、イギリスでは高価な舶来品でした。上層階級の愛好がイギリス社会全体をお茶の器へと目を向けさせ、陶磁器の貿易発展へとつながりました。中国の武夷山からイギリスへの長い海路の輸送が、届くたびの茶葉に距離と稀少さの価値をまとわせていました。稀少性は贅沢品が形成される条件のひとつであり、武夷紅茶はその時代にこの条件を完全に備えていました。

同時期、イギリスの詩人Alexander Popeは1711年に武夷紅茶への賛辞を詩に記し、銀のティーポットから火のような湯が注がれ、茶話会が賑わう様子を描きました。1725年にはEdward Youngが美女がお茶を飲む情景を詩に詠み、武夷茶と情人を並べてその浪漫的な情景を描きました。詩人バイロンも「武夷紅茶に頼らなければならない」と語ったといいます。一つのお茶が詩人の筆に入り込み、文学的表現の素材となることは、それがイギリス文化に飲食の次元を超えて浸透していたことを示しています。


献上品から話題の飲み物へ、武夷紅茶はどのようにイギリス社会を征服したか

武夷紅茶がイギリスへ入った経路は、最上層から始まりました。1664年に献上品として英国王に贈られ、その後イギリス東インド会社が廈門から仕入れを始め、1669年にはイギリス政府が茶葉の専売権を東インド会社に与えました。独占的な専売制度が武夷紅茶のイギリス市場での流通を厳しく管理し、稀少性はさらに強化されました。

希少なものほど価値が高まるという効果は、上層社会でたちまち作用しました。武夷紅茶はイギリスを完全に征服し、飲茶を主な内容とするクラブ、いわゆる「ティーパーティー(茶話会)」を生み出しました。当時の詩人Joseph AddisonやSamuel Johnsonらが頻繁にティーパーティーを開き、ロンドンの各所でのティーパーティーは空前の盛況を見せ、武夷紅茶はイギリス社会の「話題の飲み物」となりました。外来の茶葉が数十年のうちに独自の社交の場と集いの形式を生み出したことは、飲食文化の伝播史においてきわめて稀なことです。

茶の値段が下がり、誰が紅茶を飲めるかが変わった

武夷紅茶の高い値段は永続しませんでした。1714年から1729年にかけて、ジョージ一世の時代にイギリスで飲茶熱が高まり、茶の値段はしだいに安定し、当時の紅茶は1ポンド15シリングとなり、最初の三分の一にまで下がりました。40シリングから15シリングへのこの変化は、単なる数字の調整ではなく、飲茶人口の構造全体の変化を意味していました。

茶の値段が下がり、飲む人が増え、もはや王室だけのものではなくなり、文人たちの間でも紅茶を味わう風気が生まれました。値段の緩みが紅茶を宮廷と貴族の私有の楽しみから、より広い社会層へと開放しました。1732年には家族がそろって紅茶を楽しむ風気が生まれ、ティーガーデンの出現へとつながりました。1ポンド40シリングの献上品から、家族が囲んで飲む日常へ。武夷紅茶はイギリスにおいて、稀少から普及へという完全な道のりを歩みました。

フランスの皇后も、あの赤い液体の秘密を知りたがった

武夷紅茶の名声はイギリス一国にとどまりませんでした。フランスの皇后は紅茶の魅力を耳にして、「高い脚のグラスに入った赤い液体」の秘密を調べるよう命じたといいます。この言葉は興味深い側面を伝えています。フランス宮廷でさえ、東洋から来るこの飲み物への強い好奇を持っていたのです。武夷紅茶の色・香り・味わいは、当時のヨーロッパの宮廷の間で話題となり、異なる国の貴族たちがこの紅い液体の魅力の正体を理解しようとしていました。


1ポンド40シリングの献上品から、茶話会を生んだ話題の飲み物へ、そして詩人の筆に宿る浪漫的なイメージへ。武夷紅茶は17・18世紀のヨーロッパで、ほんのわずかな飲み物だけが歩んだ道を辿りました。その貴重さは距離と稀少さだけから来るのではなく、その時代において、自身の味わいと色彩がもたらした見知らぬものへの驚きからも来ています。今日当たり前のように飲む一杯の紅茶は、300年前には起立して敬意を示すべき存在でした。

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