1999年9月21日未明、マグニチュード7.3の強震が台湾中部を襲いました。これは台湾近代史上最も深刻な自然災害のひとつであり、同時に台湾茶業発展史における重要な転換点でもありました。地面の揺れが止まったとき、茶農たちは驚くべき事実に気づきました。地震は茶園の石積み擁壁を崩壊させただけでなく、土壌構造を根本から変化させ、その結果、茶葉の品質にも影響を与えたのです。この予期せぬ変化は、台湾烏龍茶の生産構造に大きな変革をもたらしました。
九二一集集地震の破壊範囲は、台湾中南部の主要な産茶郷鎮をほぼすべて含んでいました。被災茶園面積は約2,500ヘクタール、被害率17%と推定されています。中でも、南投県鹿谷郷・竹山鎮、雲林県古坑郷、嘉義県梅山郷といった、台湾高級茶の核心産地が甚大な被害を受けました。
本稿では、各茶区の被災実態、土壌構造の変化が茶品質に与えた影響、そしてこの天災がどのようにして台湾茶業の転換と高度化を促したのかを詳しく記録します。
南投県茶区:震央の壊滅と再生
震央となった南投県の茶園面積は8,000ヘクタールを超え、今回最も深刻な被害を受けました。**凍頂烏龍茶(Dong Ding Oolong Tea)**の故郷である鹿谷茶区は壊滅的な打撃を受けました。鹿谷茶区は多くが山間斜面にあり、開墾初期に石積み擁壁で段々畑を造成していましたが、長年風雨に耐えてきた石壁は強震の前に一瞬で崩れ落ちました。
永隆、彰雅、鳳凰一帯では、農家や製茶設備が大量に損壊し、擁壁や段畑が崩落、茶樹の根が露出して枯死する光景が広がりました。鹿谷郷の被災面積は600ヘクタール以上に達し、郷内の茶園の相当割合を占めています。
一方、等高線植栽を採用した新設茶園は、断層帯上にない限り崩落が少なく、被害は比較的軽微でした。この事実は茶農たちに茶園造成方法を再考させ、その後の再建計画にも重要な参考となりました。
竹山茶区も甚大な被害を受け、製茶工場や建物が倒壊、坪頂茶区の茶園が崩れ、高海抜の杉林渓茶区でも茶園や道路が寸断され、救援や復旧作業を困難にしました。
雲林・嘉義茶区:連鎖災害の拡大
雲林県の茶園は約500ヘクタールで、主に林内・古坑の両茶区に集中しています。林内郷坪頂茶区では一部の山際茶園が崩落したものの、大規模な段畑は安定しており、平坦地茶園の耐震性を示しました。
しかし古坑郷の草嶺茶区は壊滅的被害を受けました。山崩れで新たに形成された草嶺潭堰塞湖の影響で、茶園・茶工場・産業道路が深刻に損傷し、一部農民が犠牲になる悲劇もありました。石壁や樟湖の茶区も茶園の崩壊や道路寸断が相次ぎ、静かな山間茶園は一変して惨状と化しました。
嘉義県の梅山、番路、竹崎、阿里山などの中高海抜茶区も震央から遠いにもかかわらず影響を受けました。特に梅山の瑞峰、龍眼、碧湖は雲林県に近く、草嶺山脈の地すべりで一部茶園が崩落。嘉義全体の被災面積は約200ヘクタールと、南投や雲林に比べれば軽微でした。
土壌構造変化の深い影響
九二一地震の茶業への最も深い影響は、単なる茶園破壊ではなく、土壌構造の根本的な変化にありました。地層の移動や土壌組成の変化は、茶樹の根の環境や養分吸収に直接影響を与え、茶葉の化学成分を微妙に変化させました。この変化は一見わずかですが、風味の層次を重視する台湾烏龍茶にとっては決定的です。
震前は伝統的な凍頂風味を誇った茶園も、震後の新たな葉特性に合わせるため製茶工藝を調整せざるを得なくなりました。この土壌環境の変化は、台湾茶業における軽発酵工藝の普及を促す要因ともなりました。
産業構造の意外な転換
九二一地震は大きな損失をもたらしましたが、同時に産業転換の触媒にもなりました。再建過程で多くの茶農が茶園造成や製茶工藝を見直し、台湾茶業に新たな発展動力を注ぎ込みました。
鹿谷などの伝統茶区が打撃を受ける一方、高海抜茶区は被害が軽く、高山烏龍茶への注目が高まりました。その軽発酵と清香は震後市場の新たな嗜好に合致し、伝統的凍頂風味に代わって主流となっていきました。
再建は茶園の近代化も促進しました。水土保全や防災性を重視した科学的栽培、製茶設備の更新が軽発酵普及を加速し、台湾茶の両岸市場での地位向上に寄与しました。
災害から機会への教訓
張世榮ら凍頂伝統風味を守る茶農は驚異的な復元力を示し、茶園を再建するとともに伝統工藝を守り抜きました。市場嗜好の変化にもかかわらず、品質で固定客を維持しました。
地震は特定茶区依存の脆弱性を浮き彫りにし、産地多様化の重要性を認識させました。また、再建過程での技術交流は、伝統と現代技術の融合を促し、高山烏龍ブームとして結実しました。
永続的な復興の考察
九二一地震から20年以上、台湾茶業は凍頂一辺倒から多様化へ、量から質への転換を遂げました。これはあの運命の日の教訓の賜物です。
持続可能な茶園経営—経済性と環境保護、革新と伝統の両立—は震後の中心課題となりました。九二一地震は茶業の進路を変えましたが、その強靭な生命力も証明しました。廃墟から立ち上がったのは、単なる茶園ではなく、より多元的で競争力のある現代茶業だったのです。